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高麗山 聖天院(埼玉県):本堂前からの長めは素晴らしい!高句麗人の文化が垣間見える!?

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こんにちは。管理人の黒猫丸です。
聖天院には、高麗神社の御祭神である高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)の墓、山門(雷門)、鐘堂、在日漢民族慰霊塔、本堂、雪山(石灰岩)など、色々見どころがあります。御朱印もありますので、順に紹介していきたいと思います。

目次

聖天院について

聖天院(高麗山聖天院勝楽寺)は、高麗神社にほぼ隣接しています。駐車場もあり、高麗神社から車で1~2分程度で、徒歩でも10分前後で行くことができます。

創建されたのは奈良時代(西暦751年)との事です。また、武蔵野観音霊場の札所にもなっています。立派な山門(風神雷神門)や、有料区域になりますが境内からの眺めは圧巻です。

御本尊・御利益

  • 不動明王(不動明王)
    • 煩悩退散・厄除け
  • 高麗王若光守護仏聖天尊(こまのこきしじゃっこうしゅごぶつしょうでんそん)
    • 出世開運・事業繁栄・子孫繁栄

高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)について

天智天皇5年(666年)、唐と新羅は高句麗の征討を開始、高句麗は危機的状況の中で若光含む外交使節団を大和朝廷へと派遣しました。しかし668年高句麗は滅亡し、若光は二度と故国の土を踏むことはありませんでした。

若光の渡来から半世紀を経た霊亀2(716)年5月16日、大和朝廷は駿河、甲斐、相模、上総・下総、常陸、下野から高句麗人1799人を武蔵国に移し「高麗郡」を創設(続日本書紀巻第7の記述)。若光は郡の長官に任命されました。若光は郡内の高麗人を指揮し未開の地を開発、この地で波瀾の生涯を終えました。郡民はその徳を偲び、その霊を祀り、高麗郡の守護神としました。

境内案内

山門(風神雷神門)~王廟~中門

まず目に飛び込んでくるのは、日高市指定文化財になっている立派な風神雷神の山門です。二階部分には大日如来、七観音、十六羅漢が配祀されています。残念なのが格子状の木枠で囲われていて、若干見づらいです。浅草の雷門とは違い、手の届く高さですので仕方がないですね。

山門右手には王廟(高麗王若高の墓)があります。こちらも日高市指定文化財です。

山門まで戻り階段を登ると中門があります。ここから先が有料区域となります。ちなみに御朱印等もここに置いてあるので、納経料を納めていただくことができます。

拝観料

  • 大人 300円 小人(小・中学生)150円 未就学児童 無料
  • 団体割引(30名以上) 大人 200円 小人100円
  • 障害者割引(本人のみ)大人 200円 小人100円

庭園~阿弥陀堂~仁王尊

中門をくぐると目前に広がるは立派な庭園。コロナ禍前は右の建物で御朱印を頂いていました。左側には阿弥陀堂(市指定文化財)。武蔵野観音霊場26番の本尊聖観音はこちらです。阿弥陀堂の右奥の階段をのぼると、左右に仁王尊がこちらを見下ろしています。

鐘堂~在日韓民族慰霊塔

階段を登りきると、なぜかハローキティのぬいぐるみが出迎えてくれました。正面には鐘堂があり、中から上に登ることができます。

鐘堂をくぐり左の小道をずっと行くと、在日漢民族慰霊塔があります。異国感が漂い、今までとはちょっと違う雰囲気に包まれます。

本堂~雪山(石灰岩)

境内まで戻り本堂へ。本堂前の広場からの眺めは素晴らしいです。晴れていればさいたま新都心のビル群や富士山を見ることができます。本堂は平成12年に京都神護寺をモデルに建てられた、比較的新しいお堂です。

お堂の右奥には雪山が!?と言っても本当の雪山ではありません。造成時に出現した石灰岩の塊です。この雪山をよ~く見てみると・・・なんと!。

御朱印

コロナ禍前は中庭内にある建物で御朱印帳を手渡して書いてもらいました。今は中庭に入る料金を支払う場所に、書き置きとして置いてあります。武蔵野観音霊場26番の御朱印もありますよ。必要な分の金額をお納めしましょう。

最後に

ぜひ隣接する高麗神社と一緒に参拝してみてはいかがでしょうか?とは言うものの、夏の時期は歩いていくと大変なので、車で行くことをおすすめします。

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